この記事は実録0才8ヶ月にスマホを買い与え自由に使わせた経過報告#1 の続きです。
「取り上げない」
前回、0才8ヶ月の娘に専用のスマホを与えた経緯についてお話しました。
今回はその後の話、どんな風に使わせて、どんな風にスマホへ依存するか、どのように対応するかをお話したいと思います。
「スマホフリー」で自由に。「取り上げる」という脳内麻薬が怖い
もくじ
基本的に「スマホフリー」にしたかった
これが、私が乳幼児にスマホを与える上で重要視したことです。
一般的には、スマホから切っても切り離せない、それならなんとか制限を…という議論、対応に勤しみます。
冒頭の怪人一家ですね。
ゆうこりん怪人一家のCMも、「スマホ制限フィルター」サービスのプロモーションです。
ゆうこりんをヘッダーに描いておいて恐縮なんですが、真逆の方法論を我が家では実践しています。
ほとんど、出来る限り、好きに触らせます。
一番避けたいのが、「泣いて手を伸ばしているのに無理矢理取り上げる」ことです。
その結果、0才8カ月〜2才までは頻繁にスマホをいじっていましたが、長くても1回に5分程度、2才2ヶ月〜8ヶ月のこの半年間は、もうほとんど触りません。
なぜ、その方法を実践したのか?
効果があったのか?
注意点は?
どの子供にもスマホ依存への抑止の効果があるのか?
追って書いて行きたいと思います。
筆者は専門家ではありませんので、同じ方法の実施はおススメいたしません。
個人の感想として捉えていただければと思います。
参考になれば、と思います。
ギャンブル依存の猿を作るのはとても簡単
まずは、この実験の話をしたいと思います。
有名な話なので、ご存知かもしれません。
出たり出なかったりするだけの危険
ギャンブル依存症についてこのような実験が有名です。
猿をギャンブル依存症にするには、何も難しいことはない。ボタンを押すと、おやつが出てくる機械を用意する。
おやつが毎回出てくる機械には、やがて猿は興味を持たなくなります。
次に、ボタンを押してもおやつが出たり出なかったりするようセットする。
すると、猿はおやつが出たり出なかったりするボタンを何度も押すようになります。
やがて、ボタンを押しても全くおやつが出ないようにしても、猿はずっとボタンを押し続けるようになる。
これで、何も出ないボタンを一日中押し続ける、おかしな猿の完成です。
(※動物実験は残酷です。私個人は動物実験には反対しています。)
実は、同じように人間をゲーム依存状態にすることは簡単なのです。素晴らしいシナリオも、美しい背景CGも実際には必要はない。
「アイテムが出たり出なかったり」するだけで良いのです。アイテムの美麗なイラストは必要かもしれませんが。
出たり出なかったり。そう、ガチャです。
今では、スマホゲームの巨大集金システムになったガチャ。ガチャをやったことのない人は、驚きます。「なぜあんな小さなイラスト一枚(レアキャラ)に何十万も注ぎ込むのか」答えは簡単です。出たり出なかったりするからです。
「レアキャラを担当した絵師が、そのキャラクターをゲットするために10万円課金した」という実話が話題になりました。
レアキャラのイラストを持っているどころか描けるのに、です。それは出たり出なかったりするからです。
それは一番簡単な脳内麻薬の黒魔法です。
ゲームよりもテレビよりも射幸性が高いこと
「猿の実験」では、「必ずおやつが出てくる」レバーには依存状態になることはありません。
重要なのは、欲しい瞬間に与えられない!という枯渇感です。
取り上げられることです。
枯渇感が最高潮、子供なら取り上げられてワーっと泣いているその時に、やはりどうぞ、と、与えられたら、バーっとすごい量の脳内麻薬が出ます。
これは、人間が狩猟採集の動物だった長い間、貴重なものこそ採集したほうがいい、逃げる獲物を逃さずに捕まえたい、という大変強い本能によるシステムです。
制限して、取り上げて、泣かせるたびに脳内麻薬が枯渇し、次に与えた時の脳内麻薬への感受性がすごいことになると私は考えました。
私のかつて依存していたテレビ自体への依存より、
散々怒られたゲームへの依存より、
インターネットへの依存より、
スマートフォンへの依存より、
文字チャットへの依存より、
覚えたての音声通話への依存より、
ライブチャットへの依存より、
漫画への依存より、
ダメだ!と途中で取り上げられること自体が、そして次にもう一度ありつけたこと自体が、
とても強力な脳内麻薬への依存を作るのではないか?
私は、様々な観点から以下の仮説を立てました。
満足するまでやらせれば依存状態になりにくい。
そして、娘に実践しました。
今回は、娯楽との戦いの歴史、そして私自身のスマホ依存の歴史について順を追って、この仮説の裏付けを検証したいと思います。
長い、でも浅い、娯楽依存との戦いの歴史
これまでも、私たちの親の世代からその戦いは繰り広げられてきました。
もっと前の祖母祖父の時代では、食うや食わずに切迫し、脳内麻薬は食べることや、物品を得るという部分できちんと作用していて、それ以外の食べ物や物にならない娯楽自体は子供の周りに非常に少なかったのではないでしょうか。
そんな祖父母の時代は、ちょうど、「漫画」が発売されはじめたので、子供の不健康な(とされる)娯楽といえばそのくらいだったと見聞きします。
テレビの出現
時は流れ、次にテレビが出現しました。親世代が子供の頃に導入され、食卓に子供向け娯楽の「アニメ」がドーンと鎮座したのは、確かに人類史的に衝撃だったと思います。
ここが、子供の娯楽依存、脳内麻薬との戦いの火蓋が切って落とされた機ではないでしょうか。そう、この有名な宣戦布告と共に。
「テレビを見るのもいい加減にしなさい!!!」
この台詞と共に怒るシーンは、世界各国共通で、まさにそのテレビ自体で流れています。
私自身の小中学生時代も、その戦いは続いていました。
教育番組に加え、「うちの子にかぎって…」「笑っていいとも!」「ライオンのいただきます」「おもいッきりテレビ」「とんねるずのみなさんのおかげです」「バカ殿さま」。
コメディと笑っていいともはともかく、大人向けのバラエティは幼い脳には美味しい刺激だった、と思い起こされます。
小・中学生にもなり、アニメ番組やドラマにハマり出すと、「いつまでテレビ見てるの!」と言われることが増えていました。
そのように注意や制限を押し付けられると、理解しない親への嫌悪から、ますますテレビへの依存を深めてゆきます。
脳内麻薬を撒きにゲームがやってきた!
平行して、もっと深刻だったのが、そう、ゲームでした。
小学二年生のクリスマス、お願いしたファミコン本体と、スーパーマリオブラザーズ、算数ゲームの1、2、3、ロードファイターズのカセットが枕元にあった時の嬉しさは、今思い出しても最高の瞬間でした。
9才の私はそれから、ゲームとは切っても切れない関係になりました。
思い出すのは、カセットの接触部をフーフーしたこと、電源ケーブルがもじゃっとして点かなくなる度に父が直してくれたこと、いつまでも辞めずに怒られて取り上げられて泣いたこと、取り上げられたファミコンを探しに父の押入れの天袋を漁ったことです。
記憶が新しくなればなるほど、やめられない、怒られる、隠れてやる、という思い出が多くなります。
高校に進学した頃には、ファイナルファンタジー7を徹夜したのをピークに、親を困らせました。
しかし、その頃ゲームよりもヤバいアレが、我が家にやって来たのです…!
脳内麻薬の大海、インターネットとの邂逅
高校に進学する頃、Windows95が家にやってきました。ゲームだけではなく、インターネットにも没頭するようになっていました。
「モニタ依存戦争」新たなる激化です。
私という人間は1才でゲームセンターの前から動かなくなり、「なめんなよ」のゲームセンターのページが大好きでしたので、生来の素質がありました。
そんな私は、ここからどのような大人になるのでしょうか…。
活かしたし満ち足りた
そんな私の手には今、ゲームをある程度買うお金もあります。
スマホもあります。
どのような残念なゲーム・インターネット・依存人生を送ることになったでしょうか。
ゲーム関連を仕事にした
私が初めてホームページを作成したのは高校一年の時、ゲームのホームページでした。
その頃はソフトもなく、Windows既成の「メモ帳」にコツコツHTMLタグを打ったのでした。
まさに、「依存したゲーム」のホームページを「依存したしこれからもするインターネット」へ出現させたのでした。
私は短大卒業後、将来はデザイナーかWEBデザイナーになろうとぼんやり思いながら、ゲーム関連の会社に委託社員として入ります。シフト制でアルバイトのようなものでした。
Windows98の時代、インターネットの知識を持っていたため、時給は少し高く1400円からのスタートでした。
仕事で、ある程度ゲームをプレイします。
そこで好きになって自費で購入したゲームもあります。
ファイナルファンタジー11、SOCOM、SIREN。
その3つのゲームには、激しい失恋をした時期と重なり、寂しさを紛らわせるために没頭しました。
特にオンラインで「限界のない」MMO(オンラインゲーム)のファイナルファンタジー11の依存については考えさせられましたが…、「目的」があったためそれを叶えてスッと辞めました。
依存でも趣味でも「作り出すこと」に繋げれば未来を拓ける
また、Windows95時代まさに黎明期にインターネットへの極めて依存的な趣味の延長として、ホームページを作りはじめました。依存状態が何をもたらしたかというと、それは生涯の仕事です。
独学のホームページ制作技術で24歳からベンチャー企業内に派遣社員としていくつかの大手企業のホームページ制作やディレクションを経験、その後も正社員への誘いを断りながら企業を渡り歩き、27歳で独立後、個人講師も行なっています。
途中、不妊などで心身の健康を崩して休業しましたが、今度はそれを活かし、スマホだけのワークスタイルを確立しつつあります。
日々新しくなるWebへの興味と技術があれば困ることはありません。
かつてはインターネットをやり過ぎてバカにされたり、自分でも悩んだりもしましたが、それを人の役に立てれば良いのです。人の役に立てれば仕事として成り立ちます。
食べるために脳内麻薬や依存があって、それを生きることに役立てることができたらそれはもう自然なのです。
依存には、生きることに役に立つ依存と、役に立てることが難しい依存があるのです。
役に立てることが難しい種類の依存
「自分でコントロールできない」
同じく依存をしても、
「このゲームは今、自分に利をもたらさない。時間が無駄に過ぎている思う。上手くいった時の一時的な快楽だけ。上手くいかないイライラに突き動かされて続けてしまっている。頭ではわかっている」
頭では良くないとわかっているのに、辞められない。
これは、私が将来に繋がったと感じている依存の「何かある気がする」という惹き込まれる感じと違って、頭のどこかが冷静で、やめろと言います。
ギャンブルの場合、「長期的に見てプラスになる可能性が低い、時間も浪費する。でも次の瞬間大勝ちするかもしれない」と、積み重なるハイリスクより目先のリターンを大きく感じてしまう。
ここでやめられる時(人)と、やめられない時(人)には、どう違うのでしょうか。
下記の状況にある時、射幸心を煽るものをやめることが困難になります。
- 他のことに精神的苦痛を持っている場合
- 脳内麻薬の運搬バランスが適切でない場合
そしてこの状況は、「依存症」という治療を必要とする病気に繋がっています。ではどうすればいいのか。
そもそも、なぜ「麻薬」がいきなり出てきたのか。
脳内麻薬とはそもそも何か。
私は失恋期間に、ゲームにも依存したし、パチスロにも短期間ですがハマっていました。
金銭的な大損はないものの、依存の状態が怖いと思い、改善すべく依存症について調べました。
そして、脳内麻薬の仕組みについて大切なことを学びます。
ギャンブル依存症はWHO(世界保健機関)が認定する、れっきとした病気です。
ギャンブル依存症とは?(ギャンブル依存症回復施設 グレイスロード) http://gracelord.jp/smarts/index/18/
例えばギャンブル依存症は脳の病気です。リンク先の脳のMRI画像の通り、病変をきたしています。
そして、ギャンブルに限らずスマホ依存、ゲーム依存でも同じことが少なからず起こっているのです。
脳内麻薬で磨耗した脳細胞は簡単には戻らない
依存状態は、脳内麻薬のコントロール低下です。
依存するものに惹きつけられる時、脳内麻薬が大量に噴出されます。
依存症について学んだ大切なことは以下の3つです。
- 依存症とは脳内麻薬に対する行動コントロールが生活に支障をきたすほど低下すること
- 一生のうちに脳内に運搬できる麻薬の量は決まっている
- 猿に報酬が出たり出なかったりする(部分強化)機械を与えると、ずっとボタンを押し続けるようになる
一つ目、脳内麻薬は麻薬、それに依存することは薬物依存と同じです。
薬物依存患者がどのような予後を送るか、それは生易しいものではありません。
その恐ろしさは、二つ目の、「一生のうちに脳で運搬できる麻薬の量、気持ち良い感じの量は決まっている」ということです。
麻薬で元気に、幸せに生きられるならいいじゃない。
良いけど、残念ながらこの先に使うはずの麻薬の効果を「前借り」しているだけです。
脳内麻薬は元気を前借りする
カフェイン依存の場合
脳が、麻薬の運搬力を使い切ったら?
私はフリーランスデスクワークに励んでいた一時期、気付かないうちにカフェイン依存症状態になったこともあります。
途中で、心身の不調をきたしカフェイン依存の副作用や離脱症状に当てはまることに気付きはじめましたが、すぐにやめることは困難でした。色々なことを活動的にこなせる状態を、保つために。
その後CNMS含む不調の限界と、妊娠を望むためにカフェイン断ちをしましたが、ああ、カフェインはれっきとした興奮剤で、元気の前借りをしていたんだな、と、はっきり自覚する、酷くダメな、辛い期間が始まりました。
カフェインは体内から抜けるのが早い嗜好品です。
しかし、前借りした元気な状況との落差、そして個人的には不妊の状態に入ったこともあり、辛く苦しい期間は長引きました。
カフェイン依存についてはこの漫画が詳しく、的確です。
人は脳内麻薬に支えられて生きています。
あの靴が欲しいな、仕事がんばろう。買えた、やった!
ちょっと面倒だけど、この料理作ってみよう。できた、やった!
好きなデザート、美味しい。ラーメン美味しい。
この、やった!と感じる適切な量の脳内麻薬が、感じなくなってしまったら。
人生がどんなものになるでしょう。
それが、依存症患者が歩む道の先です。
治療やリハビリで幸福を手に入れる患者さんもいらっしゃいますが、とても大変な道のりです。
何故なら、傷ついても失っても増えて回復する皮や肉の細胞と違って、脳細胞は再生がとても難しい細胞だからです。
お金は取り戻せるけれどそれは取り戻せない
私は、冒頭の猿の話を読んでから、同じ状態に陥っている時の自分と猿を重ねました。
りんごの出ない機械のボタンを、朝から晩まで時間を忘れて押し続ける猿を。
パチスロは才覚もないので1年で辞めましたし、スマホを持ってからの8年でガチャの課金はトータルで500円のみです。
楽しいこと、嬉しいことを感じさせてやる気を出させる限りある脳内麻薬を、浪費してしまうような、射幸性の高さを感じたゲームも、脳細胞が消費されることをイメージすれば熱が冷め、すぐにやめることができました。
お金や時間がもったいないという常套句は、私に言い訳の隙を与えましたが、限りある脳内麻薬運搬細胞がもったいないという概念は効きました。
お金はもっと稼げば良いですが、脳内麻薬運搬細胞は取り戻せないので。
脳内麻薬と付き合いながらゲームをするメリット
ゲームに依存しがちだということは、絶対にいけないのでしょうか?
いいえ、そんなことは無いと思います。
以下の点を理解した上であれば、社会で生きる上で良いリラックス効果があると感じています。
- 脳細胞は壊れたら簡単には戻らない
- 脳細胞は出る/出ないの簡単なことで麻薬漬けにできる
そのことがわかれば、のめり込むことは怖いと感じるようになります。
それを承知した上でなお、ゲームをしていた時期があります。
それはこんな時期です。
- 電車通勤
- うつ状態
イライラしながら電車に乗るよりは
電車通勤中はイライラしますよね。
一つの小さな逃げられない箱に、信頼できない大勢の人達と押し込められて、緊張ストレスが発生するのは生き物として真っ当な反応です。
目を開けているだけで、同じくイライラ緊張した人達の動きや、音が入ってくる。
肩がふれ合おうものなら、イライラマックスになり、押した押されたの喧嘩も珍しいことではありません。
身体的にもですが、精神的に危険な状況ですね。
喧嘩の元となる脳内物質は、アドレナリンと言い、イライラや興奮状態を引き起こします。
特に、HSP(Highly Sensitive Person)(受信情報過多)の特性を持っている人には、大変なストレスになり、様々な困難を引き起こします。

HSP(情報受信過多)に加え、HSS(衝動過多)を併せ持つHSP/HSSの特性も存在します。
とにかく公共交通機関内は、沢山の人が出す動き、音、表情などの情報が多く、ストレスとなります。
そんな時、携帯ゲームは、目に入れたくない周囲の情報を遮断し、イヤホンもすれば耳からの不快な情報を入らないようにしてくれます。
そのため、リラックスの効果があります。
仕事で張り詰めた後の帰りの電車で、リラックスすることは大変重要です。
私は、脳内麻薬と依存症の知識を得てからスマホゲームも控えていましたが、ある日の通勤時間に、友人の友人が制作したという癒し系のゲームを起動します。
いつも音楽ばかりをかけていましたが、音楽に加え視覚、物語の複合的な効果は絶大で、帰宅時の電車内の不快な情報をシャットアウトしてくれ、ホーッと緊張が緩和するのを感じました。
リラックス効果を得るためには、「勝ち負け」「点数」「出来た出来ない」といった刺激、射幸性は弱いゲームを選ぶべきでしょう。
刺激が強い「負けて悔しい」「じれったい」ほど、脳内麻薬の効果で多額の課金が期待できますから、ゲーム制作会社はわざとそのように作ります。たかがゲームですが、相当取捨選択が必要です。
その際、「絵」が好き、「音楽」が好き、「物語」が好き、そういった、「出る出ない」の射幸心以外の魅力を感じられるゲームを選ぶと良いでしょう。
そこに気持ちが集中するので、出る出ない、勝ち負けに影響されにくくなります。
またかつて、ファイナルファンタジーシリーズに時間を割いた私ですが、天野喜孝氏の絵も、植松伸夫氏の曲も大好きだったため、ゲームをクリアした後も展覧会に行ったり、コンサートに行ったり、後の人生を豊かにしてくれました。
重要なのは、「出る出ない」に引っぱられているのか、音楽や絵、物語、声優の魅力に惹かれているのか、切り分けて感じることです。
どうにもならない状況からの逃避
電車内ではなく、部屋の中でずっとスマホゲームをやっていた期間があります。
それは、原因不明の不妊の状態が長引き、仕事をやめ、好きなことをやめ、好きな音楽も聴けなくなってしまった時でした。
気がつけば自分を責め、何度も居なくなろうとしました。
努力をすれば何かしらが積み重なるほとんどのこととは異なり、妊娠のためにできることは限られ、25日の周期のうちのほぼ全てが待ち時間で、しかも時が過ぎれば過ぎるほど確率が下がって行く。
不妊にはストレスが良くない…。
そう言われているため、「ストレスを感じることがストレス」というループに陥っていました。
そんな中、スマホゲームに心を移しているひと時だけは、自分の状況を忘れていることができました。
結局、妊娠が継続した時はそんな日々の中でもストレスが最高潮の周期でしたので、妊娠にストレス云々は関係ない!と、私は言いたいです。
とはいえ、妊娠がある程度進むと、今度は「お腹の張り」が早産を左右します。
ストレスなどの交感神経で確かに子宮は「張る」し、子宮口が早期に開いて来たら、「入院、もしくは起き上がらないで下さい!」という切迫流産(早産になるかもしれない状態)を言い渡されます。
ストレスが関係あると言えるのは、妊娠中です。
ですので、気をそらしリラックスをするために、ゆるいスマホゲームのお世話になりました。
なにしろ、私は「終わらないタイプのつわり」、よだれつわりでした。
7ヶ月間ほど毎日、吐いたり、血を吐いたりする日々でした。
その不調を忘れるためにも、スマホゲームは欠かせませんでした。
長時間頻回授乳で意識を保つため
出産後、しばらくはスマホゲームはしませんでしたが、自宅での育児が始まり、母乳の量増やすために長時間の頻回授乳でずっと赤子を抱き抱えているため、眠気と戦うためにまたゲームを再開しました。
ゲームよりも楽しいこと
そして、生後6ヶ月の時に、寝かしつけをしながらちょっとしたブログをスマホのみで作り、それからはゲームをする代わりに制作作業をしたり、文章を書いたり、作曲をするようになりました。
それらは、射幸性のあるゲーム以上に脳内麻薬を出すものでしたが、後に残るものであり、自分を表すものであり、収入にも繋がるものでした。
その後、スマホゲームをお試し程度以上続けることは出産から2年8ヶ月の間ありません。
ですが、リラックスにはもっぱらWEB漫画を読んでいます。
WEB漫画システムにおける射幸性
私は漫画が大好きです。
漫画が電子化ですたれる?とんでもない
育児中でもスマホでなら読めるので、私はどんどん漫画を読むようになりました。
時間で回復する無料券のマンガサイトの思惑通り、度々購入に至りました。
「無料券の時間回復」は、射幸性の強さを感じます。
「もっと続けたいのに取り上げる」、「解放する」の、繰り返しです。
あまり好みではない漫画なのに、この射幸心の煽りで続きを購入しそうになったことも何度もあります。
しかしそこはまた「猿」になっていないか立ち止まりました。
それは本当に買う価値のある漫画か?
一回読んで満足するのではないか?
何度も読み返すことになる漫画だろうか?
ベルセルクやヘルシングや昴のように…、という所が基準でした。
何度も読み返すほどの漫画の楽しさも脳内麻薬の作用ですが、作用する脳の階層に違いがあります。
例えば「ベルセルク」も「昴」も「カイジ」も、どこに脳内麻薬が出るかと言うと、「ここぞという時に勝つ胆力」にスカッとするのです。
努力して培った力が報われる、努力していなくても時には勇気と胆力が勝つ、という構図への追体験の脳内麻薬です。
その勝利の脳内麻薬は、実体験で似た場面を前にした時に、勝利に導くヒントになります。
例え「漫画のように」勝利できないとしても、人生を豊かにします。
ここまでが私のスマホ依存人生です。
- 取り上げられて大変強く欲する脳のシステムは、必要なものを手に入れるための強い脳内麻薬のシステム
- 猿を依存症にする出たり出なかったりするゲーム
- 脳内麻薬で摩耗した脳細胞は簡単には再生しない
取り上げないほうが良いことを裏付けること
取り上げると依存する脳内麻薬を逆手に取った仕事法
近年の仕事法に、このような方法があります。
「気が進まない仕事に、ほんの少しだけ手を付けてやめる」
ほんの少しなら…と、手をつけると、不思議とスイスイ進んだり、その後にもっと進めたくなったりする効果的な仕事法です。
試してみると、確かに効果的だと感じます。
このことも、「途中でやめさせることへの依存性は高い」という説を裏付けています。
「取り上げない」を「取り上げる」もの
私は、一時期の間、不登校でした。
いじめられたという意識もなく、理由が不明確な不登校でした。何もかも嫌だった気がしますが、「取り上げると依存症」の仮説を立ててはっきりとわかります。
「熱中している最中のものを取り上げる」依存症にさせることの逆は、「興味の無いものを押し付ける」ことです。
学校は、私の居た平成初期においても「押し付ける」「強制」に溢れています。
私はとてもプライドの高い子供でした。
小学生の頃は勉強をせずに強制を無視して生きていても一番だったのに、受験を強制されて入った中学からは強制だらけでした。
今思えば、試験そのものは嫌いではなかったし、試験のために自分で対策をするのは嫌いなわけではなかった。
でも、数学だけはだめでした。数学のテストの「〜しなさい」という命令口調がすでに嫌だったのです。
まあ、そんなことに囚われて「やりようによってはしていたかもしれない勉強をしなかった」時点で愚かとは言えるのですが。
しかしながら時は流れ、昨今では、「命令」する教育は一掃されつつあります。
特にそれを感じることができたのは、教育番組です。
お兄さんやお姉さんは、いつでも楽しそうに「手を洗おうか!」「お片付け、してみよう!」
幼稚園や保育園でも、「トイレに行きたい人!」「上手にお着替えできる人〜?!」とにかくノせます。
「やりたくないことを命令でやらせる」ことの長期的コスパの悪さは、幼児教育だからこそ顕著にわかるのではないかと思います。
しかしながら、まだ命令口調が教育だと思って実行する人たちがいます。
先日、掘りごたつ形式の座敷のお店で2歳7ヶ月の娘と娘の祖父母三代でお食事をした時です。
食べるのに夢中になっている娘は、気が付けば足を掘りゾーンから上げて、座布団や畳に伸ばしていました。靴はもちろん初めから脱いでいます。
それを見たおばあちゃんが「足はこっちに下ろしなさい」と、足を下ろさせました。
大したことではないと思います。
大したことではありませんが、外でのお食事が大好きな娘は、
「ここに足ぶらんとしてみようか?!おじいちゃんおばあちゃんとおんなじだね!」
と、言えば、喜んでそうするはずです。
「足はこう下ろしなさい」
そう言われたら、大好きな「大人と同じ」をする楽しいマナーの面白さが奪われてしまいます。
またある時、遊びに出かける前に娘は床でおもちゃで遊んでいました。
夫は穏やかで優しい父親ですが、こう言ったのです。
「遊んだら、片付けなきゃいけないんだよ?片付けないと、遊べないんだよ」
私は速攻、夫を別室に連れて行き、そういう言い方は辞めるように言いました。
娘は、教えてもいないのに1歳の頃からお片付けが大好きで、それぞれの物の置き場さえわかれば、自分で片付けるのです。
それは、楽しい遊びの一環として思っているからです。
それを「片付けなきゃいけない」「遊べない」そんな言葉で奪わないで!
日頃から、「〜いけない」と言う言葉はやめて「〜したらできる」「〜したらしよう」という言葉に置き換えるように言っていますが、この時は最たるものでした。
夫は、私の言うことを理解し、その後一層気を付けているようです。
さて、このおばあちゃんとパパはとても優しくて、愛情深いです。
それなのに、どうして、しなくてもいい「命令」「制限」をしてしまったのでしょうか。
実は、このおばあちゃんとパパは母と息子です。
彼らはよく似た性質を持っています。
表面的な人さまの目を気にしやすいのです。
私が気にしなさすぎという部分はありますが、表面的なことや、形式的なことを気にしすぎる性質については夫ととこれまでよく話し合い、自覚もあるとのことです。
表面的人さまの目を気にする彼らは、マナーが悪い時の、外部からのHate値を中和しようと、「厳しくしています」と聞こえるようにしてしまうのです。
また、形式的なことに重点を置いているので、「命令口調」で何が得られるかというと、「しつけた」という実感です。
「厳しくしつける」ことを美徳としていた時代は遠くなく、ついこの間のことです。
しかし、「厳しくしつけられた人」の声を聞いたり、読んだりするようになり、よく耳を傾けると、非常に難しい。
「しっかりした空気」「責任感」を纏い、素敵な人で友人にも多いのですが、美しさを感じられる所作の反面、彼ら自身の心は、特有の辛さを抱えていることが多いです。
私は、食事中に肘をつくこと、もう片方の手をテーブル上に出さずにしまっていることなど、そういった所作には生理的嫌悪を感じます。
なので私もやりませんが、私自身は厳しくされたわけではありません。
厳しくするからできるわけではなく、人と食事をする上での生理的嫌悪に敏感になれば、自ずと、美しさの共通言語的マナーを身につけたいと思うものです。
例え、親がゆるい感じでマナーを知らず教えなくても、子の性質が凛とするものなら凛として自分で学んでいくものです。
熱中している作業には必ず満足する時が来る
取り上げることをやめ、やらせっぱなしで大丈夫なのか?どこまでやらせるのか?
そこは難しい問題です。
いくら取り上げないほうがいいと言っても、視力が落ちたり、実質的な予定に悪影響します。
でも、実際試してみて、どんな遊びでも、必ず飽きたり満足する時が来ると言えるように感じました。
また、熱心に取り組んでいる作業を満足するまでやらせることは、成長にも良い面が強いようです。
将棋で記録更新を続ける藤井聡太さんが受けた教育法として「M〜」という教育法が昨今話題になりました。
M教育法は、スティーブ・ジョブズや、Google創立者のラリー・ページ、 セルゲイ・ブリンもその教育法を受けたそうです。
それを我流で参考にしているため教育法名は伏せさせていただきます。
我が家でも娘の今後のための参考にと、本を何冊か読みましたが、M教育法の一つにこのような手法があります。
「仕事(作業のことをそう呼びます)の邪魔をせず、本人がやり遂げるのを邪魔せずに待つ。本人がやり遂げたと感じた時、晴れやかな笑顔を見せる」
M教育は、本人が夢中になれる仕事(作業)を選ばせて、大人は介入を最低限に留める。待つ。それを中心とした教育法です。
M教育法では、スマホやテレビには不寛容だったと思いますが、私はスマホに限らず「待つ」方針の良さを確かなものとして一貫することにしました。
何故なら、当時乳児の娘は、とても熱心だったからです。
M教育的な、脳を刺激するような玩具をいじる仕事に見せる熱心さと同じように、スマホをいじる時も一つ一つの動作を興味深く、確認するように、指をどう動かせば次のページに行くのか、考えながら「仕事」をしていたからです。
クリアできそうでできないもどかしさに囚われたり、レアで強いアイテムを求めて振り回されたり、匿名の書き込みに浸って暗い安息を得たりする大人の表情とは違うと感じたからです。
ピコピコと「猿のように」続けてしまう、そんな姿であれば、止めさせることを考えたと思います。
そんな風に射幸心に煽られているのではなく、スマホの仕組み、画面の仕組みに興味を持っているように見えました。
大概は、難しい玩具に挑戦してしまった時と同じように、思い通りにならずにうーんと言って投げ出しましたが、ページめくりやタップの概念がわかるようになるととても嬉しそうに「仕事」をしました。
そんな時は熱中時間が少し長くなりました。
しかし、その熱中の仕方であれば、ある程度満足するか諦めるだろうと予測しました。
結果、ほとんどの場合、満足するか諦めるか、どちらにしろ飽きて、他のおもちゃに移行します。
射幸心や、イライラ感で続けてしまう様子はほとんど見られませんでした。
他のおもちゃと同様にスマホも、玩具の一つという認識のようでした。
2歳8ヶ月の今はというと、自分からスマホを開こうとしません。
朝私を起こすのと同時にスマホを探してくれ、「ハイ、ママ、あった」と言って、渡してくれます。
その辺に置いておいて目に留まった時も渡してくれます。
写真を一緒に撮る時、LINEで親しい人と話すとき、またはSiriに話しかけて名称と画像を一致させる時以外は、画面を開こうとしないのです。
アンパンマンやシルバニアファミリーのお人形遊びか、トーマスのプラレールに夢中で、そのほうがずっと楽しいようです。
子供は本来、今自分の成長にとって何が必要なのか、わかっていると感じさせられるのです。
テレビについて
スマホ以外にも、娘とテレビの関係性についても書き記したいと思います。
「テレビっ子」と言われて何度も怒られた私が、10年以上ほとんどテレビを点けませんでした。
娘が生まれて、教育テレビやアニメやネット番組を点けています。
ずっと遊んであげられるなら点けなくていいと思いますが、家事や仕事を同時進行している私しかいないのにシーンとして寂しがらせるよりは、寂しくないなんらかの刺激が脳にあったほうが良いと思うからです。
テレビの視聴に関しても、時間での制限はせず、無理矢理消す制限もほとんどしません。
私が体力がないほうなのでつい、という部分も大きいですが、制限はあまり気にせず流していて、音に脳が疲れた、視覚情報にも疲れた、と思う時に消したり、消音にします。
大抵は私がそう感じる頃にはすでに別の遊び、ごっこ遊びや乗り物遊び、シールや絵本で遊んでいます。
私も手を引かれて一緒に遊ばされています。
一時期テレビ画面に距離が近かったので心配しましたし、少しは気をそらすように注意しましたが、幸い視力は良好なようで、空の点のような飛行機をみつけては教えてくれます。
娘へ。スマホを手放せなくなったら伝えたいこと
確かに、漫画もゲームもアニメも、のめり込んでいる最中は、この後の人生に何を残すのかなんて、考えません。いやむしろ、「xxは人生!」とさえ思っています。
そこまで感じるゲームやコンテンツなら、経験則本当に人生に緑地を残してくれるかもしれません。
しかし、やっている最中に、「なんでこんなことやってんだろ」とふと思ったら、絶対に注意です。
そのゲームはもう、あなたの人生に豊かさをもたらす役目を終えています。
それがわかっていて続けてしまうのは、出ないレバーをずっと引き続ける猿と同じです。
この先にあなたが手に入れる幸福、訪れる幸せ、美味しさ、それを感じるための限りある脳内麻薬運搬力を擦り減らしています。
時間を無駄にするな、とは言えません。だって、真摯に努力した時間も、無駄になり涙することだってあることを私も知っています(本当は無駄は無く時間を経て返って来るのですが)。
お金を無駄にするな、とは言いません。あなたは凄く稼ぐかもしれませんから。
でも、何百万も課金したアカウントを消されて絶叫した人は何人もいるらしいです。
なぜ絶叫するかと言うと何も残らないからだし、やめられて良かったとその後思うそうです。
あと、お母さんは今は時間の持っていかれるゲームはしません。
それは我慢しているわけでもなく、時間を他のことに使うのが楽しいからです。
人生はとても楽しいゲームです。
資格や検定や技術の本がたくさんあります。
楽しそうな本を手にとってやってみてミッションをクリアするとお給料が上がります。
本当は学校の勉強も同じです。
頑張らなくても良いです。
ただのゲームです。
もしかしてあなたなら高得点が取れるかもしれないだけです。
脳の「報酬」システムは、良い感じに生きていくために存在し、そのために快楽が使われます。
ランダムな⚪︎×ゲームが、人生の役に立たないとわかっているのに、をその快楽物質を「無駄遣い」すると、脳のバランスが崩れます。
長期薬物乱用患者の脳は萎縮していますが、ギャンブル依存患者の脳も萎縮しています。
「無駄遣い」とわかりながら脳の快楽物質そのものを目的に起動して、タップしてしまう自覚があるのなら、そのタップの度に神経細胞が死んでいくことをイメージして下さい。本当にそうですから。
そして、脳細胞は死んだらほとんど再生しません。
肉や骨の細胞は再生しますが、脳細胞はほとんど再生しません。
脳細胞と快楽物質を、大事に使って下さい。
人の役に立つ技術を付けるのも、快楽物質が出ますしお金にもなります。
人の役に立ってお金を稼ぐことが本当のゲームです。人生はゲームです。
ゲーム好きなあなたなら、それに気付いたら楽しくスコアを目指せるはずです。
それから人に見せられる趣味も持って下さい。そして不完全でもいいから定期的に人に披露することが大切です。
⚪︎×おみくじゲームに脳を使う隙もないくらい、楽しくなっていると思います。
Special Thanks
milkdustaさん

milkdustaさんはnoteで出逢い心惹かれたポップアートを描くアーティストですが、薬物依存症の治療中でもあります。薬物依存について、入院のこと、当事者の素直な声を読む事ができ、私の中で塗りつけられたイメージが大きく拭えました。

薬物依存症の方に対しては正直、milkdustaさんの手記を読んだりお話を聞いたりするまでは偏見を持っていました。壊れていると思っていました。
私はmilkdustaさんしかやり取りをしたことはないので多くはわからないのですが、彼が私が知る多くの人より優しく聡明であることは確かで、彼が周りの治療者さん達について、もっと普通で聡明であると教えてくれるので、そうなのだと知りました。
とはいえ、本記事は薬物依存症を例にあげておりますがその当事者に寄り添う記事ではありませんので、milkdustaさんの見解は当記事と同じくしないことを記します。
その上で、手記を上げて下さったり、こちらからお願いし、啓蒙のため誇張表現を含む当記事にもお目通しやご指摘下さったmilkdustaさんに御礼を申し上げます。